2006年03月07日
オカン・アート
今朝Livedoorのニュースをチェックしていたら「情熱空回り系アートが蔓延!?」という、気になる記事が。
いつもちょっと面白い切り口でニュースを提供してくれる「ファンキー通信」の配信だ。
あったあった、家にもあったよ。
僕たちのオカンの世代はみんなやってるんだなあ、と感心。
ここで不思議なのは、なぜ生まれも育ちも違うオカンたちが一様に同じ様なモノを作り、そして部屋を毒して(失礼)行くのか?
色々考えた結果、一つの考察に行き着いた。
恐らく、戦後のモノのない時代に育って、作れるモノは手作りする、モノがないのは寂しい、モノがあることは貧しさからの脱却だ、という風に考えているのではないか?ということ。
ここからは完全に推測でしかないのだが、オカン・アートが存在している家には、お歳暮でもらったお菓子の空き缶だの、アイスクリームや冷凍食品の入っていた発泡スチロールなどが「いつか使うかもしれないから」「もったいないから」という理由でうずたかく積み上げられているのではないだろうか?
僕もこうしたオカン・アートに囲まれて、「いつか使うかもしれないから」という大義名分のもとに、必要以上に(ここ重要)集められたガラクタの中で育った。
未だに気を抜くと無駄なモノを収集してしまいがちだ。
しかし、デザインを勉強して一人暮らしをして、一つの真理に行き着いた。
「無駄なモノを買うから、無駄なモノが増える」
なので、買物はほとんどしない。
これならば「もったいない」という呪文に正面切って対抗できるエコロジー思想だと思うのだがどうだろう?
いつもちょっと面白い切り口でニュースを提供してくれる「ファンキー通信」の配信だ。
あったあった、家にもあったよ。
僕たちのオカンの世代はみんなやってるんだなあ、と感心。
ここで不思議なのは、なぜ生まれも育ちも違うオカンたちが一様に同じ様なモノを作り、そして部屋を毒して(失礼)行くのか?
色々考えた結果、一つの考察に行き着いた。
恐らく、戦後のモノのない時代に育って、作れるモノは手作りする、モノがないのは寂しい、モノがあることは貧しさからの脱却だ、という風に考えているのではないか?ということ。
ここからは完全に推測でしかないのだが、オカン・アートが存在している家には、お歳暮でもらったお菓子の空き缶だの、アイスクリームや冷凍食品の入っていた発泡スチロールなどが「いつか使うかもしれないから」「もったいないから」という理由でうずたかく積み上げられているのではないだろうか?
僕もこうしたオカン・アートに囲まれて、「いつか使うかもしれないから」という大義名分のもとに、必要以上に(ここ重要)集められたガラクタの中で育った。
未だに気を抜くと無駄なモノを収集してしまいがちだ。
しかし、デザインを勉強して一人暮らしをして、一つの真理に行き着いた。
「無駄なモノを買うから、無駄なモノが増える」
なので、買物はほとんどしない。
これならば「もったいない」という呪文に正面切って対抗できるエコロジー思想だと思うのだがどうだろう?
Posted by maxi at 10:36│Comments(0)
│日常日誌